「ローズナイフロマンス2」 そのA


 湖は小さいと言ってもかなりの大きさがあった。森の中にポツンとあって、御伽噺に出てきそうな所だな、と三森は思った。人も桐と三森以外に人はほとんどいなかった。
「穴場みたいね」
「この辺りは他に観光出来る場所がありませんからね。ペンションに来た人がちょっと立ち寄るくらいなんです。いい場所だと思うんですけどね」
「そうね」
 都会の慌しい空気などどこにも無い。のどかで、とても落ち着いている。また機会があれば来たいと、三森は心から思った。その時隣に桐がいれば、言う事は無い。
 2人は岸の近くにある貸しボート屋に向かった。50代の男で、2人を見ると無料でボートを貸してくれた。お礼を言うと、ボランティアでやっているようなものだから、と笑って答えた。
 オールは桐が持った。いいの?と三森が聞いたら、こういうの好きなんです、という答えが返ってきた。
 薄い青の水の上を音も無く通る小さなボート。それに乗るのはうら若き乙女2人。これ以上絵になる光景は無かった。
 桐は漕ぐのが下手なのか、それともわざとそうしてるのか、ボートのスピードは非常に遅かった。
「三森さんと来れて本当に良かったです」
 向き合う形になっている状態で、桐が言う。茶色の髪の毛がそよ風でフワフワと浮いている。
「でも、私ってあんまり喋らないから、退屈じゃない?」
 少し自虐的に笑う三森。その表情さえも、どこか憂いを持っているかのように見える。桐はそれを楽しそうに見ている。
「分かって誘ったんですから。それに退屈なんて事ありません。私、あんまり友達がいないんで、こうやって誰かと旅行した事無いんですよ。だから、とても楽しいです」
「……そうなの?」
「はい。何ていうんですかね、誰とでも均等に仲はいいんですけど、飛び抜けて仲のいい人がいないんですよ。だから、三森さんが学校で最初の友達です」
「……」
 会った時、図書委員になったのは他にやる人がいなかったから、と桐は言っていた。桐は三森の思っている人柄とかなり違っていた。誰にでも笑顔を振り撒き、誰とでも仲がいい。 それは間違ってはいないようだが、その度合いが想像していたモノとは違っていた。
「ずっと友達ですからね」
「……一々言わなくてもいいわよ」
 正面切って言われると恥ずかしい。でも、本当はとても嬉しかった。こんな事を言われたのは初めてだった。
 たまに思う。この気持ちは、他の女には無い事なのではないか、と。この程度の歳になれば異性の事が気になる頃だ。だが、三森は全然そんな気分にならなかった。なまじ美人で生まれてしまった為、男の目がどうも怖かった。皆、自分に体に触れたいだけなのではないか、と思う時もあった。
 でも、桐は違う。想い方も、性別も。
「ねえ、桐」
「何ですか?」
「ちょっとオール置いて、こっち来て」
 三森はゆっくりと手招きをする。桐は小首を傾げながらも、オールを置いて、三森の傍に来る。ボートがバランスを崩して少しだけ揺れる。水面に波紋が広がる。
「何ですか?」
 三森の前でちょこんと座る桐。三森は桐の顎をとると、突然その唇にキスをした。ほんの少しだけ、触れるか触れないか程度のささやかな口付け。
「なっ、何ですか、いきなり……」
 桐は驚いた顔をするが、ボートはほとんど揺れていない。つまり、その驚きは体には表れていなかった。
 三森は小さく微笑んで、桐を抱き寄せる。
「お友達の誓い。ちょっと普通とは違う気がするけれど、いいでしょ?」
「……」
 桐は何も言わない。でも、抵抗もしない。三森はそんな桐の頭を丁寧に撫でる。小さな頭、その下にある体が、自分の体と密着している。僅かな体温が心地良かった。
「可愛いわ」
「……嬉しいです」
 桐が男子生徒から告白をされた時、三森はその相手の弱点を見つけ、キスと一緒に渡してやった。だから、これが初めてのキスではない。でも大人になったら、この時のキスが初めてと言おうと決めた。
 そうあの時から、自分と桐は普通の女子達の交流とは違う。ちょっと、変かもしれない。でも、それでいい。自分が楽しければ、それでいいのだ。誰も、自分達の事なんて見ていないのだから。
「もう帰る?」
 一向に離れない体に三森は言う。少し間があって、もう少ししたら、という答えが返ってきた。
 陽が、暮れかかっていた。湖が橙色に変わっていた。


 毅が用意してくれた食事はとても美味しかった。若い女性を意識したのか、肉中心ではなく、サラダを中心としたヘルシーなメニューだった。
 テレビの音をBGMに、食事が進む。
「どこに行ってたんだい?」
「近くの湖まで」
 桐がオレンジジュースを飲みながら答える。
「やっぱりね。この辺りはあそこしかないからな。都会に住む君達には退屈な所だろう?」
「そんな事ありません。大事な思い出も出来ましたから」
 三森はクスクスと笑って言う。その顔を見て、毅は小首を傾げる。
「何かハプニングでもあったのかい?」
「まぁ、地味なハプニングでしたけど」
 桐の言葉に、三森は更に笑った。毅には意味が分からなかった。
「ところで叔父さん。ここのお風呂って大きいんですか?」
「えっ?ああっ、大人2人くらいは入れる大きさだよ。沸かしてあるから、入ればいいよ」
「そうさせてもらいます」
 何も詮索しない叔父は、いい人だ、2人は思った。


 バスタブはなかなかの大きさだった。大人数を予想しての事だったのだろうか、と三森は思った。随分と前から湯が張ってあったらしく、室内は白い湯気で覆われていた。
「叔父さん、分かってるんでかね?」
 桐の言葉が反響する。ちょっと幼い感じの体が三森の目の中に入ってくる。それに気をとられながらも、答える。
「さあ。でも、どちらにしても、あの人なら何も言わないと思うわ」
「そうですか?」
「ええっ、何となくだけどね」
 三森の言葉に、桐は何度か相づちをうった。
 三森の長めの髪の毛を桐が丁寧にまとめ上げる。三森はくすぐったいと言って笑った。桐は痛めると良くないですから、と答えた。
「三森さん、体つきも女っぽくって素敵ですね」
「そうかしら?他の人の体、あんまり見た事無いから」
「だってほら」
 桐は自分の体を三森に見せる。確かに自分と比べると、幼い感じはする。でも、それが悪い事なのかは、女の自分が考える事ではないと思った。
「桐も素敵よ。女の私から見るとね」
「褒められてるのかよく分からないんですけど」
「最大限の褒め言葉よ」
 三森は桐のなだらかな肌に触れた。自分の肌と同じ感触だった。桐はキャハハと声だ出して笑った。こんなに楽しい風呂は初めてだった。


「ありがとうございました」
 次の日の昼、三森と桐はペンションを後にした。毅はもっといればいいのにと言ったが、タダでずっと長居するのは気が引けるという理由で、2人は早めに切り上げる事にした。
「また来たくなったら言いなさい」
「はい、お世話になりました」
 桐はちょこんと礼をした。三森は丁寧にした。毅は穏やかな笑顔で2人を送った。この人ならば、何度来てもいいと思った。


「また来ましょうね。まだ夏休みはありますから、他の所にも行きましょう」
「そうね。でも、人が多い所は勘弁してね」
「分かってます。でも、そうなると海とか、遊園地とか、映画館とかダメですね」
「映画は単館ならいいのよ。他は……もうちょっとしたらね」
 人の少ない電車の中、2人は窓を流れる景色を見ながら言葉を交わす。まだ夏休みはたくさんある。これから色々な所に行けるだろう。どれもいい思い出になるに違いない。
 三森も桐も、もうとっくに、この気持ちが何なのかは分かっている。でもそれはなかなか口にしない。言ってしまったら、現実に引き戻されるような気がするから。悪い事をしてるとは思わないけれど、でも皆が皆、自分達を受け入れてくれるとは思えない。
 未来がどうなのかは知らないけれど、ちょっと住みにくい時代に生まれてしまったのかもしれないと、2人は大袈裟に思った。
 それでも現実は変わらなくて、ずっと窓の外ばかり見ていると眠くなってきて、2人は互いの肩を使い、眠った。
 心地良い寝息が2人しかいない車内に響いた。

                                                                  終わり


あとがき
バラナイフの恋、第2章です。
この作品はパッとした思い付きで書き始め、深い事は何も考えずに終えた、私にとっては非常に珍しい作品だったりします。単純にこの2人が書きたかったから続編を書いたので、前よりも中身が無いんじゃないか、と自分では思ってたりします。
しかし、以前これを載せていたサイトからは、結構好評でしたね。
3部作ですけど、3章もこんな感じだったりします。気合を入れずに読んでくれたら幸いです。


前のページへ   ジャンルへ戻る